僕はくたばりたくなかった。

死ぬことってなんだろう。

少し前までは、誰にも悟られずにひっそりと消え去ってしまいたいと願う自分がいた。
高校のころは、校舎の屋上に続く階段を昇るたびに「今ここで自分が水蒸気のように空気中に霧散してしまえばいいのに」と、起こるはずも無い奇跡を神様に願ったものだった。
授業中には、「今、教室の床からにゅっと手首が生えてきて、僕をリノリウムの床の中に引きずり込んでくれないだろうか」と変な妄想をすることに夢中だった。先生の講義など上の空で、妄想世界の手首の妖怪をノートの隅っこにこっそり落書きしたものだった。最後には消しゴムで跡形も無く消してしまうものなのに、その手首の妖怪にご丁寧に影なんか付けたりして。大学生になった僕が高校時代のときのノートをめくってみても、そこにはただ板書を書き写した下手くそな文字が並んでいるだけだ。僕には英熟語や化学式や数学の証明問題なんかより、ノートに記しておくべきことがあったはずなのに、僕はあの手首の妖怪の落書きを綺麗さっぱり消してしまっていた。

あのとき、消え去りたい欲望はたしかにあった。だけど自分は死んだのだと、この世にいないのだと、周りにはっきりと知られてしまうのが恐かった。「誰にも悟られずに死ぬ」ことを望むのは、「どこかで生きている自分」というものを誰かに信じさせたかっただけかもしれない。忘れられていくのは辛い。だから僕は孤独なまま死にたかった。誰かと友達になることがなかったら、大切な人から忘れられていく痛みを味わうことはない。だから一人で死にたい。孤独な人間のままこの世界からフェードアウトしたい。僕はただ逃げたかったのだ。誰も僕のことを覚えてくれてないのではないかという不安から。周りから繋がりを絶たれる前に、自分からその命綱を切ってしまいたかった。「死にたい」とうめきつつも、死ぬことを一番恐れていたのは他ならぬ僕自身だった。

生きることは世間の中に我が身を曝すこと。死ぬことは世間の中から自分が消えていくこと。僕はその両方の真実から眼を背けて、生きることも死ぬことも嫌悪していた。僕みたいな人間は、一生、自分の命に感謝することは無いのかもしれない。自分の人生と仲直りできる人間は、この世界にどのくらいいるのだろうか。