ドアを叩く音で眼が覚めた。奥山くんだった。ひまだよ。遊ぼう。とのことだった。
「あそぶっつったって・・・」僕は渋った。伸びてきた髪を散髪しに行こうと思っていたのだ。
その旨を伝えると、奥山くんは眼を輝かせた。
「俺に切らせてよ」
「やだよ」
「クリスマスの映像、youtubeでアップするぞ」
「散髪お願いします」
僕は奥山くんに髪を切ってもらうことにした。さっそく電話をかける奥山くん。学科の女の子をギャラリーとして呼ぶためだ。僕は切った髪を捨てるためのゴミ袋を買おうと、コンビ二まで歩いた。

僕の下宿先と最寄のコンビニとの間には5つの学生マンションが立ち並んでいる。そのマンションの一つの部屋にそれぞれ一人ずつ人間が住んでいるわけだ。そうすると、僕がコンビニまで歩くわずかな距離の間でも、何十人もの人間の時間が流れているということになる。そしてその一人ひとりがまったく別の人生を生きているのだ。そう考えるとぞっとする。地球は僕が考えていたよりも遥かに重いものかもしれない。

タバコと燃えるごみ用袋30ℓを携えて部屋に戻ると、奥山くんは鼻毛を切る用のはさみを持って、玄関先に待ち構えていた。あれで切るつもりだろうか。奥のドアの隙間から女の子の姿が二人見えた。奥山くんが呼んだギャラリーさんだろう。部屋で切ると散らかるので、洗面所の中で切ってもらうことにした。
「ねえ、それって鼻毛切る奴だよね」
「うん。そう。これで切るの」
「まじで」
「そう言うけどさ、素人が上手く切るにはちっさいハサミのほうがいいんだよ。細かく丁寧に切れるから。素人がでっかいハサミを使っちゃうと、いつも失敗すんの」
・・・なるほど一理ある。それではお願いしますと、洋式便座に腰掛ける。
「じゃあ切るよ」
「うん」
「引っ張るから痛いよ」
「大丈夫だって・・・・・・あいたたたたた」
「動いちゃだめだよ」
「もっと、ソフトに、優しく切れないの?絶対、毛抜けたよ、今」じんじんする頭皮を押さえながら講義すると、「あー。俺さ、毛が抜けるときの痛みに快感を覚えてしまうんだよね。だから人が感じる髪の毛を引き抜くときの痛みとか嫌さ加減とか、いまいちよく理解できないんだよねー」と奥山くん。
「『できないんだよねー』じゃ、ねぇ!!」

けんかになりかけながらも、どうにかこうにか散髪が終了。これで鬱陶しかった髪の毛ともおさらばじゃ。
風呂場で体に付いた髪の毛を洗い流し、さっぱりした気分で部屋に入ると、目に付くのは床一面に広がる黄色い液体とその横に転がった空き缶とティッシュペーパーを片手にあたふたしてる奥山くん。女の子二人組みは完全自殺マニュアル三原ミツカズの漫画を読んでいた。僕が「何これ」と聞く前に、奥山くんは先回りして言い訳をする。
「ちがうって!俺じゃないって。今窓から雀が一匹、サーって飛んできてビール缶倒して逃げていったんだよ。いや〜はた迷惑な雀だなぁ!そんなにビール飲みたかったのかなぁ!」
アル中な雀もいるもんだ。酔っ払って、電線から落っこちてなければいいが。
完全自殺マニュアルを読んでいたほうの女の子が「凍死っていいらしいね!」と嬉しそうに叫ぶ。ああ、どこまでもゆるい世界だ。

人生も死ぬことも十年後の自分も、遠くの島だ。近づくこと無く、いつまでも遠くから眺めていたい。
おもちゃの機関車がくぐるトンネルの先には、もう出口がうっすらと見えているけれど、どうか神様、こんなちっぽけな僕に、あと少しだけ自堕落の日々を。

夜六時ころ、奥山君と連れ立って大学近くの定食屋に飯を食いに行った。
そのお店は夫婦で経営しているらしく、料理を作っている店長のおじさんも、ご飯をよそってくれるおばさんも、とても楽しそうに仕事してるように見えた。
茶色い木地の壁にはポスターが一枚飾ってあって、どこかで見たカップルが映っているので尋ねてみると、やっぱりジョンレノンとオノヨーコのポスターだった。ポスターの中でジョンとヨーコはとても幸せそうに微笑んでいた。
僕はポスターの二人に見つめられながら、アジの塩焼きを突っついた。
お勘定のときに奥山くんが、「こいつの髪の毛、僕が切ったんですよ」とお店のおばさんに話しかけたら、おばさんは「私も切ってもらおうかしら」と笑顔を返してくれた。店長のおじさんが後ろの方で照れくさそうにハハハと、笑い声を立てた。僕は何だか無償に嬉しくなった。好きな子を作ろうと思った。
店を出てから「上手かったな〜」と二人で声を合わせた。いつか彼女ができたなら、このお店に絶対誘ってやろうと思った。