性病疑惑

最近、自慰行為にふけるたびに不安になることがある。
ちんこの裏に小さなぶつぶつができているのだ。高校のころから一人心配していたけど、これってまさか性病なのじゃないかしら。
電話で奥山君に相談してみると「それはやばいね、病院に行ったほうが良いよ」と言われる。
本気で不安になってきた。これでは風俗に行ったときにうっかり風俗嬢に性病を移してしまって、怖いお兄さんにボコボコにされる羽目になるではないか!なんとかせねば。男は即決だ!即断だ!
「明日、病院に行こう!泌尿器科に!」
「えー、自分一人で行けよ。性病が移る」
「一人は嫌!一人は嫌!」
「アスカかよ!」
翌日、僕と奥山君は市内の中央病院に来ていた。さすがに後悔と不安の嵐が頭の中を吹き荒んではいるが、ここで躊躇してたら男ではないので、勇気を出して門をくぐる。
よし、まずは診察の申し込み表を書かなくては。備え付けのボールペンを手に用紙に書き込んでいく。
名前。生年月日。住所。電話番号。職業・・・ここまでは書き損じなく順調だった。しかし次の欄に進んだとき、ペンの動きが止まった。

〜本日はどのようなご用件でこられましたか。症例をくわしくお書きください〜

呪われた三十三文字がそこにはあった。思い出すのは高校の数学のテスト。ど忘れした公式を応用した問題に行き当たったとき、これと似たような感情を思い抱いたものだ。くそっ、現実社会め。どうしてこうも言いにくいことをピンポイントでついてくるんだ。こんなものストレートに書いて出せるものか。受付のお姉さんがけっこう可愛い目なのもきわめて出しづらいじゃないか!


「さっき受付のお姉さん、笑ってたよね」
申込用紙を出し、うな垂れてる僕に、笑いを押さえ込んだ表情で奥山君が話しかけてくる。
「うるさい」
「あきらかに童貞の奴が、性病の診断って・・・」
堪えきれずに噴出す奥山君を隣に、僕は泌尿器科の前で名前が呼ばれるのを待っていた。扉の横に掲げてある電光掲示板に自分の番号がいつ映るのか怖くて仕様が無い。
マジで逃げ出したい。恥辱だ。陵辱だ。ちんこを担当医に裏返されるのだ。助けて!
「絶対、笑われてるね」と、奥山君はくるくる踊りながら言う。
「童貞のくせに、性病って・・・ぷっ!」 しつこい。
陽気な奥山君の横で頭を抱え込んでいると、看護婦さんが紙コップを手に近づいてきて、僕に手渡した。
「これに尿を取ってください」
看護婦さんは目を合わせずに早口でそう言うと、逃げるように去っていった。嗚呼、そんなに僕ってダメな人間なの?僕は人から目をそらされるほどに醜い人間なの?

「はい。そうです。性病ではありませんね」
診察室でチンコ丸出しの僕に、担当の先生は軽く言い放った。
「えっ、でも、小さなブツブツが裏側に発生してるんですけど、それってクラミジアとかじゃないんでしょうか?」
「それは毛根です。性病ではありません」
「でも、微妙に痒みがあるんですけど・・・」
「大丈夫です。尿を検査してみましたが、性病の菌は見つかりませんでした」
なら最初からそう言えよ!チンコ見せる必要なかったじゃん!
くそ。怒りの葡萄。赤面しつつズボンを履く。考えてみれば童貞の奴が性病に感染するはずがなかったのだ。

ドアを開けると、奥山君は壁伝いに話を聞いていたらしく、「あほじゃん」と僕を指差して笑った。
正直、僕も最近そう思う。
大学に入ってから、何一つまともなことはしていない。
こうして毎日、馬鹿な出来事の繰り返しで一日が終わっていく。
終わっていく人生。終わっている自分。
誰かの助けを待っているばかりで、自分から何かを始めようとしたことが今まであったのか。今日だって奥山君について来てもらわなかったら何もできなかったくせに。
どんなときも、どんな場所でも、結局僕は人任せのままじゃないか。
甘えられる空間を捜し求めているだけだ。そこに自信は構築されない。

夕方、二人でケンタッキーで夕食を取る。
「何か人の役に立つことできないかな・・・」独り言なのか、奥山君は視線を落としたままつぶやく。
「無理だね。奥山君には無理だよ」
憎まれ口をたたく。馬鹿にされてばかりで、何か毒のある言葉を言い返したかった。
「何でさ」
「だって奥山君はけっこう人の不幸を楽しんでいるでしょ」
少しでもいいから、誰かの心に傷をつけたかった。そうすれば情けない自分が少しでも報われる気がしたから。

「お前って、入学してからこの二年間、何も変わっていないよな」
奥山くんは静かにそう言った。
その言葉は自分の中で何度も繰り返された文句だけど、他人の口から発せられると、今までの人生がすべて判定されてしまった気分になる。

奥山くんの刺すような視線の奥に、決して折れることのない強さを感じて、僕は思わず窓の外へと眼を泳がせた。

そうして誰かと衝突する危険から逃れて、傷つくことを恐れて生きてきたんだ。