私はもう私が分からなくなって来た。

僕は大学生になって、一体何をやりたかったのだろうか?
高校生のころに本を読むようになり、それで本好きになって国文学を勉強しようと決めたのだったが、今の自分は本当に文学が好きなのだろうか?怪しい。読書家を気取っているただのミーハーだったのではないだろうか・・・
最近、小説を読んでいても、小説の世界に没頭できない。数ページ読んだだけで眠くなるようなときもある。以前は身近に感じていた小説の世界が、今では蜃気楼のように霞んで見える。
小説を読んで、涙を落とすことがなくなった。一つの文や一つのセリフに、打ち震えるような興奮を見出せなくなってしまった。一冊の本に込める思い入れが薄れている。読み終えるたびに本に対して申し訳ない気持ちになる。ちゃんと読めなくてごめんなさいって・・・。
もう僕は大学の三回生になる。卒論を書くためのゼミを選ばなくてはならない。近現代の文学をやりたいんだけど、僕にはその資格が実際あるのだろうか。他人に自慢できるほど本を読んでいるわけでもないくせに。
永井荷風がいつの時代の人かも知らず、川端康成も読んだことがない。谷崎潤一郎幸田露伴も、読んだことのない作家がたくさんいるのに、なんで国文に来たんだ自分!ただの本好きが国文を選んではいけなかったのだ・・・。
ああ、それでも現実から逃げるためにも本を読みたい。読んでいるときだけが救われる。
僕は本を読み終えても何も感想が言えない。作家の伝えたかったところが一体どこだったのかもはっきりとはわからない。ストーリーもほとんど覚えていない。「どこがどうよかったの?」と、人に聞かれても答えられない。他人に自分が読んだ小説がどういう小説なのかを説明することすらできない。本を読み終えて何かを学ぶなんてことは僕には絶対起こりえない。本を読むという行為が、ただ本を読んだというだけで終わる。
だけど、僕は本を読んでいる間だけは救われるんだ。
辛い現実を忘れられるんだ・・・うふふ。