とりあえず屑。

今日、大学の哲学の授業で、学生たちの「発表会」があった。
この「発表会」というのは、哲学の授業を受けて自分の感じたこと、もしくは自分の人生について今だから言えること、その他なんでもいいからおもろいことをやれ、というイベントだ。
数人の生徒が壇上に上がって、思い思いの意見を述べた。
「私は小学生のころ先生にやり逃げされたけど、両親の力で立ち直ることが出来ました!!」
「友人がレズですが、私は友人の両親のことを心配して、長々と説得のメールを送りました!!」
「僕は前の大学を中退したけど、中途半端に就職するのを辞めて、同志社に入学して本当に良かったと思います!人生と言うのは自分の決断で変わるものだと実感しました!!」
巻き上がる歓声!割れんばかりの拍手!教室中、笑いと涙に埋もれている中、僕は「うんこが漏れそうだから、はやく終わってくれないかなぁ・・・」と苛々していた。

うん、君が親御さんに深く感謝していることはわかったよ。だけど、それが僕に何の関係があるっていうの??
君の体験談が誰かのためになってると本気で思ってるの?
君はただ、公衆の面前でオナニーをしてるだけなんだよ。

授業の終わりに講師のS先生がありがたい訓辞を垂れた。
「一本のライ麦があります。ひょろ長くて弱々しいことこの上無いのですが、そのライ麦の根っこの一本一本を繋げていくと、なんとシベリア鉄道を軽く横断するほどの長さになるのです。ひ弱なライ麦くんも、こうして一生懸命生きているのです。」
「はい!先生!そんなことを言うんならMONOの消しゴムを消しカスにして、それを分子レベルにまで分解して繋げたら、シベリア鉄道どころか地球を一周することすら余裕だと思うのですが!」
「君はひねくれてますね。ありがたい話にケチつける人間は屑です。したがって君は屑です」

・・・・・・・。

根っこを一本一本繋げたらそりゃ途方もない長さになるだろう。そんなことわかっている。だけど、そんなことに生の大切さを見出すってのは傲慢じゃないの?だって消しゴムのカスだって地球一周しちゃうんだし。ライ麦の根っこがシベリア鉄道の長さに匹敵するのは事実だ。だけどそのことが「生きることには価値がある」という結論には繋がらない。それはライ麦から学べる真理ではない。それは人間の強烈な思い上がりだ。前のめりになっている人間の身勝手な祈りだ。

夕方、奥山くんと、二人の後輩(宮崎君と福永くんって言う名前)と一緒に学食で飯を食べた。
すると隣のテーブルでカップルがいちゃついていたので、四人全員でじっくりと凝視した。
去り際に彼氏の方が、ジロリと睨んできたので、かなりびびった。動悸がした。

自宅に帰ってから、今日見たカップルの彼女の娘が可愛かったので、その娘のことを想像しつつ、自慰行為にふけった。

問題:こんな僕でも生きている価値はありますか?
ねぇよ そんなもん!!