人間失格を読んで

人間失格」を読みました。お気に入りの一言→「汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ!」
これは主人公の葉蔵くんが、「それは世間が、許さない」と偉そうに説教する堀木くんに対して、心の中で叫んだ言葉です。めったに怒ったりしない葉蔵くんは、何故ここまで感情を高ぶらせてしまったのでしょうか。理由は堀木くんが「世間」というワードを使っているところにあります。
一体、世間とはなんでしょうか?そもそも世間とは実在するものなのでしょうか?太宰もそのへんは疑問視していたらしく、「どこに、その世間というものの実体があるというのでしょう」と書いたあと、こう結論づけています。「世間とは個人じゃないか」。
「世間」=「個人」?
「世間」と「個人」とはまるっきり対立する概念のように思えますが、実はそうじゃないんです。「世間」とは要するに、個人の隠れ蓑なのです。
物語の中で、堀木くんは、主人公を世間の名の下に非難しまくります。「それは世間が、ゆるさない」「そんな事をすると、世間からひどい目に逢うぞ」「いまに世間から葬られる」などなど・・・。
しかし堀木くんがここまで「世間」という言葉を多用する裏には、せせこましい計略があったのです。どうして堀木くんは「世間」という言葉を使ったのでしょうか?

その① 「世間」という語を使うことによって、葉蔵くんを非難した責任が自分のもとに戻ってくるのを防ぐため。

堀木くんは「世間」というでっかい集合体のなかに自分の意見を組み入れました。そうすることによって、葉蔵くんが何か言い返してきたとしても、「えっ。何キレてんの?だから俺はこんなこと言ってないって。お前を『許さない』つってんのは世間様なんだから、俺にキレられてもお門違いだぜ」と、堀木くんは言えるんです。つまり堀木くんは葉蔵くんと対話したことによって生ずる責任を、「世間」という巨大なものに転嫁して、自分は知らん顔でいるつもりなのです。「世間」とはそれ自体が曖昧な他者でありますから、堀木くんと対話していた葉蔵くんは、いきなり虚構の他者である「世間」を相手にしなければならず、何も言い返せなくなってしまうのです。

その② 「世間」という語を使うことで、醜い自分の心の中を覗かないで済むため。

もし、堀木くんが葉蔵くんに向かって、「俺はお前を許さない。お前をひどい目に逢わせてやる。お前を葬ってやる」と言ったとしたらどうでしょうか?恐らく堀木くんは自分の見たくない部分を見てしまったためにへこんでしまうでしょう。堀木くんはそのことをよく知っています。自分のかっこいい自意識を堀木くんは意地でも守ろうとします。そのため堀木くんは、「世間」という言葉を使って、自分の考えている醜悪な考えを「世間」に代弁してもらって、「俺=素敵」という自意識を壊さないようにするのです。

「世間」というのは自分の貧弱な自意識を保護するための個人の隠れ蓑なんです。僕達現代人は、個人と個人との関係で話をすることができないから、自分の意見を後ろ盾してくれる、自分に都合のよい社会を意味する「世間」という概念を作り出してしまったのです。そして「世間」というのも個人の思想を集団という枠組みにまで拡大したものであるから、結局は「世間」というのは個人なのです。

自分の醜い一面から目を背け、「世間」という代弁者に肩代わりさせ、「素敵な自分」という自意識を守ることに夢中で、人を躊躇なく傷つける。そんな現代の人間を太宰は「堀木」というキャラクターに象徴させているのだと思います。そんな人間の浅ましさが見えてしまったとき、葉蔵くんの頭の中に「汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ!」という言葉が浮かんだのでしょう。

醜い自分から目を背けるな。見たくない自分をこそ、見ろ!傲慢な自我など持ってはいけない。太宰はきっとそう言いたかったのだと思います。