真っ白け人生

世界は空白だ。いくらページをめくったとしても、人生は延々とまっしろなページが続くばかりで、みんなその果てしない空白をほんの数行ほどの言葉で取り繕って、あっけなく終わっていくんだ。ぎゃあ。

ちょっと時期遅れの成人式の思い出。

地元の成人式に出席した。
「そんなにみんな変わってないはず。きっと僕みたいな屑人間もおよそ二割半はいるはず」などと、甘い希望を抱いて髪ボサボサのまんま会場へ出かけていった僕は、到着後五秒にして自分の目測が誤っていたことに気付いて絶望する。
ああ。中学時代、僕が小馬鹿にしておった彼もこんなに立派なイケメンに。
ああ。一緒によく遊んだ彼も、一段とハンサムになっていて、ヘタレの僕には話しかけることすら躊躇われるよ。
ああ、女子に至っては、華やかすぎて直視すらできない。

気分はさながらカミュの異邦人だ。だからといって「ママンが死んだ」なんて呟いても仕方がない。5年の歳月は人間を変えるとよく言われるが、あの伝説は本当だったのか!

驚愕のあまり呆然とする僕には、レベルアップしている友達と会話することは、レベル1の分際でゾーマに喧嘩を売るのと同じことで、ただ一人虚勢を張るより仕方がない。くそう、みんな楽しそうに喋くりやがって。君達には慎みというものがないのかチクショー、一句読むぞこの野郎!
成人式 虚勢を張っても 童貞だ       ああ・・・・・・
悲しくなったので、式が始まるまでの時間をトイレの中で過ごす。
正面の鏡には冴えない僕の姿がみじめったらしく映っていて、僕は「気狂いピエロ」の主人公みたいに、晴れた青空に向かってダイナマイトで脳天をふっ飛ばしたい気分になる。ああ、みじめ。

トイレから出ると廊下に女の子が一人立っていた。着物を着ているから式に参加する同級生だろうか。脳内に検索を掛けると、小学校時代のある女の子がヒットした。「大木さん?」声を掛けると大木さんは一瞬びくりと震えたが、話しかけたのが僕だと気付くと、「オクナくんか〜」と、安心したように声を返してくれた。大木さんは地元の小学校から唯一、私立の進学校を受験した努力家だった。大木さんは阿呆のノータリンの僕によく勉強を教えてくれた。小学校時代の僕の恩人、大木さん。でもどうして一人でこんなとこにいるんだろう?誰か待っているのだろうか。
なんで、皆のところ行かないの?何気なく聞くと、大木さんは「知らない人たちばかりだら・・・」と、悲しそうに返した。「しまった」と、僕は思う。どうして人の気持ちを読み取れないのか自分。県の中心部の学校に進学した大木さんは、式の参加者の大半を占める地元中学の連中を知らないのだ。あの輪の中には入りづらいのだろう。だからこうして誰の眼にもつかないところで・・・。


町の外に出て行った子供はもといた場所には戻れないんだ。


それは僕も同じことだった。僕の携帯には中学の同級生のアドレスは一件も登録されていない。中学を卒業して以来、クラスメートとは何の連絡も取り合ってない。年賀状も洋服店からしか来なかったし・・・

「あけましておめでとうっす」と、それくらいの言葉しか出てこないのでそう言うと、「もう二十歳だね」と大木さんは微笑んだ。
僕も合わせて笑顔を作った。こうして何でもかんでも笑いでごまかして生きていくんだ。僕にはもう大木さんの心の中まで踏み込んでいけないし、大木さんだってそうだろう。他人の心の中の密室に踏み込む勇気をどこかに落っことしたまま、僕は卑怯な大人になる。

それきり大木さんとは別れてしまった。僕はあのときせめて電話番号くらいは聞いておくべきだった。

間もなく式が始まり、何のことなく終わった。いまいち実感は湧かないけれど、もう社会的には僕は大人として認知されるのだ。こんな風にあっけなく人生のイベントは一つ一つ消化されていくのかな。

式には中学のとき入部した部活の顧問をしていた江藤先生も来ていた。ホールの外に出て、久しぶりに先生の顔を見て、つい懐かしい気分になる。江藤先生は少し化粧が濃くなっていたが、まだ二十代としてでも通用するくらいに若々しいままだった。中三のころ、江藤先生の膨よかな胸と美顔に15の僕は密かに性欲と恋心を燃やしたものだったが、いざ対面すると、思ったほどには言葉が出てこなかった。
話したいこと。相談したかったこと。あのとき言えなかった感謝の言葉。今までたくさんあったはずなのに、当たり障りの無い会話しか継げなかった。お互いによそよそしくなっていた。
江藤先生と僕との間には5年間の月日は確かに流れていたのだ。

「さようなら」先生は言った。「元気でね」
悲しかった。そんな別れの言葉なんて絶対に嫌だった。けど、それは間違いようもなく別れの言葉だった。実際、これから先、生きていく中で江藤先生と会うことは二度とないだろう。でも悲しい顔を見せるのは辛い。だいたい僕がいくら悲しんでみせたって、僕はもう江藤先生の生徒ではないのだし、先生にしたっていい迷惑だろう。
だから社交辞令の笑顔でさよならだ。

「先生との思い出だけが暗闇の中で輝いている。それだけを大事に抱えている。ある意味、ずっと過去に生きているようなものだ。」
山崎マキコ先生の言葉。人間って、いつごろから過去の世界を生きるようになるんだろう。心に仕舞い込んだ思い出を、カセットテープで再生するようなシケた生き方。僕はそんな生き方を始めつつある。僕の思い出の中で、先生やクラスの友達は僕を裏切ることはまずありえないし、それを糧に現実を上手く乗り切っている大人だってたくさんいる。

人生って、そのほとんどが空白のページで埋められているようなものでしょ?ずっと昔に撒き散らした、たどたどしい言葉のかけらを読み返して、これから続く真っ白なページを耐えていくしかないんでしょ?それってやっぱり辛い生き方だけど、新しい文字を書き綴る勇気を持たないかぎり、仕方がないことではないだろうか・・・。

帰りのバスに乗って、僕は中学を卒業してからの五年間を思い返す。この五年間の中で僕は大切なものを何か一つでも見つけられただろうか。もしかしたらこの五年間もまた、真っ白なページに何も書き込まないまま漠然と過ごしたのではないだろうか。
窓の外に眼をやると、一瞬、大木さんらしき人影が映った。大木さんはバス停で違う方面行きのバスを待っていた。
さようなら。心の中で呟く。今度はいつ会えるかわからないけどさようなら。ひょっとしたら一生会えなくなるかもしれないけどさようなら。
僕は何度も別れを告げながら、あのとき大木さんにごまかしの笑みだけしか返せなかった自分を少しだけ恥じた。