ファッキン・アニマルズ

わたしの根暗は生まれつきだけど〜、あなたのそれは二十歳過ぎてから〜♪
根暗の人間には、世界はとても厳しいです。泣きっ面にICBMです。ICBM大陸間弾道ミサイルのことです。ウィキペディアによると。

僕は全般的に空を飛んでくるものが、怖いです。核とか、電波とか。
とくに最近は、カラスが怖いな、と思いました。

いや、カラス怖いですよ・・・。本気で。

5月くらいに学校に行ったら、カラスに襲われましたから。僕だけ。
もうね、びっくりしますよ。カラスが「ギャー」って口あけて突進してくるのを間近で見ると。

カラスの舌は、真っ赤でした。

一回目は「やべっ!」って思った瞬間にさっと避けたので、無事だったのですが、それに次ぐまさかの追撃。

頭を爪でガッ!ガッ!ってされました。

久しぶりにダッシュして逃げました。
なんとか逃げ切った後も、両足の震えが止まりませんでした。
カラスは理不尽です。襲撃ですよ、これ。僕は何にもしていないのに・・・。一方的にやられました。
何ていうんですか?こう、動物がマジギレするときって、のっぴきならない何かを感じるんですよね。「殺す!」って思いが、直に感じられます。

それからというもの、僕はカラスを目にする度、身構えるようになりました。後遺症です。

今日もそばをカラスがバサーっとかすめて行って、それで、あの日の恐怖がフラッシュバックしてきて、「畜生、書いてやる!」って思って、こうして日記に記している次第でございます。

ほんとにね、ビビリの僕だって、一度は復讐を考えましたよ。カラスに。
カラスがまた襲撃してきたときには、用意してきた金属バットで滅多打ちにしてやるのです。でも、そこまで考えた瞬間、あのでっかい真っ黒な翼とか、白い部分のない眼とかが脳内に再現されて、戦慄します。トラウマです。
動物にトラウマを残されるってのは、屈辱ですよ。やり場のない怒りに、身もだえするしかないです。くそぅ。

そういえば、今、思い出したんですけど、二年前にも僕は鳥に襲われていました。鴨川で。

タルトを食べてたらトンビに取られたんです。空から。外国の童話にたしかそんなネズミの話がありませんでしたっけ?題名は忘れたけれど。

まぁ、そんなわけで、もう鳥は信用できません。敵です。エネミーです。

では、犬は信用できるかと言うと、そうでもありません。犬も警戒しないといけないです。
もちろん、犬にも「いい犬」と「悪い犬」の二種類があって、全部がいけないってわけじゃありません。僕が敵にしているのは後者の「悪い犬」に分類される「野犬」という種の犬なんです。

野犬ってのはですね、恐ろしいですよ。狂犬病というウィルスを持っているんですよ。主に田舎近辺をうろついてます。だから僕の子供の時の友人の三人に一人は、野犬に襲われた経験を持っております。
僕も小学生のときに、ガチで野犬に追いかけられて、神社の中に逃げ込んで泣いた覚えがあります。

野犬怖えぇ。

作家の太宰治は、自身の犬嫌いをネタに『畜犬談』というすごく良い短編を残してますが、僕にはそんな太宰の心情がけっこう正確に理解できます。と言っても、僕は別に犬が嫌いってわけじゃないのですが・・・。

話は逸れますが、太宰治は、かなり深刻な野犬恐怖症を抱えていたようです。
太宰の友人だった方が回想して語られているのですが、ある日、太宰とその友達の方がお喋りしながら道を歩いていると、いきなり大きなガタイのいい犬に吠えつかれたそうです。
そしたら慌てた太宰は自分の友人を楯にして、その後ろでブルブル震えていたそうです。

なんだか微笑ましいです。


戦えないことはないはないのですが、ゴキブリも苦手です。

去年の晩、僕は窓を開けて煙草を吸っていたのですが、窓を閉めようとした折にゴキブリが、駆け込み乗車みたいな感じで、ぴゃっ、と、部屋に飛び込んできたんです。

そのゴキブリが相当の強敵で、叩き殺そうと筒状に新聞紙を丸めた途端、バッ!!と、宙を飛んで僕の体に抱きついてきました。

「ひぃ」って悲鳴を上げたのですが、男の悲鳴ってのは、自分が予想していたよりも、情けなく響きますね。結果的には、そのゴキブリは始末しましたけど。


えーと、そんなこんなで、僕の周りは敵ばかりです。
油断なりません。今度いつ襲われることやら、わかったもんじゃありません。
「逃げるとも屈せず」をモットーに頑張ります。日々、是、戦いです。

そうだ嬉しいんだ。生きる喜び。

新島ジョー先生の言葉に「Live To Learn Learn To Live」って格言があるんですが、あれってどうなんでしょうね。いや、ちょっと今日は思うところがあって。
お昼ごろ大学の食堂に行ったのですが、そのレシートに「Live To Eat Live To Eat」って英文が小さく印刷されてあって、おやおやおや、と思いました。
Live To Eat Live To Eat・・・。
生きるために飯食うし、飯食うために生きるのだ。
けっこう、言えますね。あてはまりますね。
ジョー先生の「生きるために学ぶし 学ぶために生きるのだ」って言葉も、また然りです。

でも、たとえば「生きるためにオナニーするし、オナニーするために生きるのだ」とか言ったとしても、「うん、まあ、あるよね」ってなりますね。「生きるために死にたくなるし、死にたくなるために生きるのだ」とか、ネガティブ概念をくっつけても、意外にパンクなフレーズができあがります。

だから、つまり何が言いたいのかって言うと、「生きるために○○するし、○○するために生きるのだ」っていう文には、何を入れても、けっこう意味のあるフレーズになってしまうんですね。・・・これって、けっこう怖いことですよ!

だってそれは、「生きる」ってことがすごく曖昧なものだってことだからです。
これこれするために生きるのだ!っていう絶対的な正しさってものが存在しないってことだからです。

そんな中、「学ぶために生きるのだ!」って筋を通した新島先生は、本当にえらいと思います。なかなかできることじゃありません、筋を通すことは。金剛番長か、新島先生ぐらいのレベルじゃないと無理です。

でも、「学ぶために・・・」ってのは新島先生の場合であって、新島先生でない僕にはあてはまりません。そりゃ、たしかに学ぶために生きれたらどんなに素晴らしいことかってことぐらい、馬鹿の僕にだってわかりますよ。でも、なんかムカつくじゃないですか。建設的で。

こう、目がキラキラしているような人とは、お友達になれないです。その目に映っている自分がやりきれなくなるからです。あと、まあ、単純にムカつくし。あ、関係ないけど、僕の弟は目がキラキラしている側の人間です。いつか何らかの形でヘコませてやりたいけど、なかなかそんな機会が訪れません。

ルサンチマンが果てしないです。「ボーン・トゥ・キル」って、これは『フルメタルジャケット』からの言葉なんですが、まあ殺しちゃいけないけど、そういうインパクトのあるフレーズが僕の人生にもないものかしら。
うーん。高望みです。

「○○するために生きるのだ」の、○○に入れる言葉を手に入れるのが、人生の課題なんじゃないかな、って思います。思いました。今日。
それを選ぶのは自分自身なんですよね。いやはや。

アンパンマンの歌を引用してもいいですか?
「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!」

・・・重い。

ああ、でも、僕がこんな風に呑気に人生の意味とか考えている間にも、みんな一生懸命、生きています。みみずだって、アメンボだって、みんなみんな生きています。手のひらを太陽にかざしたら、どんなに心がはち切れそうでも、僕の血潮は真っ赤に流れているのです。
やっぱり、「死にたくないから生きている」なんて、これは僕が尊敬している人の言葉なんですが、そういうものじゃないかなって気がします。「死にたくない」ってのは大事です。

台風ですね。

謝るべき人を数え始めたら 長い一日はとてもやっていけそうにない。
事後報告ですが、シンセサイザーを買いました。一ヶ月ほど前に。
シンセサイザーはキーボードです。ピコピコした音をいじくれて、楽しいです。
僕が持っているのはローランドのJUNOステージとSH201です。部屋にはシンセとパソコンと布団くらいしかありません。
外を見ると、うわ、台風ですね。風の音が凄まじいです。女の人が泣いているみたいに聞こえます。何が悲しいのでしょう。
実家から電話がありました。台風に気をつけろ、と。近畿地方は直撃らしいですね、台風。
「直撃」って言葉、なんかいいですね。やられた!って感じが出ていてたまりません。
ぜんぜん関係ないのですが、僕はオーストラリアにいたとき「サイクロン」って呼ばれていました、ナイトクラブで。
気違いのごとく踊り狂っていたのです。確実に危ない人でした。

オクナ、ブリスベン直撃です。

「自慢するな」ですか?ごめんなさい。二度と言いません。

でも、まあ、台風ですね。台風はなんだか悲しくなります。悲しんでもいい気がします。
リア王」みたいに外に出て悲嘆に暮れてもいいのですが、死にたくないのでしません。ビビリです。風の音が悲しすぎて、なんだか恐ろしいです。

だから、部屋でシンセを弾くくらいしか、やることがないのですが、練習をしていると、たとえば曲なんか弾いていると、昔のことを思い出して胸が重たくなります。
僕はまだ簡単な曲しか弾けないのですが、それでもメロディがすごく綺麗だなぁって感じる瞬間がときどきあって、それで弾いていると、ピュアな気持ちとかそういうものがやって来て、ああいいなあ、と思えます。
けどそれと同時に、昔、自分が他人に迷惑を掛けたことや、誰かを傷つけた思い出や、他人の不幸を嗤った浅ましい自分なんかがモワモワと思い出されて来て、「それだけの罪を犯してきたお前が、今さら何だ?」って声が頭の中に浮かんできて、胸がずーん、と沈みます。

心の中に巣食った汚い感情が、なかなか縁を切ってくれない・・・でも、そいつと僕は、けっこう仲良しです。まぶだちです。
人が、冷たい嫌な奴になっていくのは、この感情を素直に受け入れて、認めて、それでも生きていきたいからなんじゃないのかなと、最近思います。それは本人にとっても辛いことだけど、きちんと自分で始末を付けるってことは、すごく偉いことです。

だから、僕もこの「やりきれない」って感情を、放し飼いにして済ませておくわけにはいかない、なんて思ってます。否定するなり、肯定するなりしないと、何も変わりません。「鬱だー」とか言って、にやにや笑ってる場合じゃありません。マジで。

綺麗な気持ちって、何なんでしょうね。普段はずっと自分をほったらかしにしているくせに、不意にやって来ては許されない自分を責め立てます。これは敵なのでしょうか味方なのでしょうか?・・・「敵か味方かカウボーイ」です。たぶんその両方なのかな。

でもまあそんな風にウジウジしながらも、練習は続けています。汚い自分や、それを悔いている自分を言い訳にして何もかもサボることは、あまり宜しくないことに、最近になってようやく気づいたからです。

いつか僕が迷惑を掛けた人たちに、ちゃんと向かい合えるように、自分を曝せるように、なりたいです。・・・いや、なります。「なりたい」って言い続けるのは、楽だし、言い訳になってしまうし。

はやく上手になりたいな。

うわ、今、風でマンションが揺れた!
本気で怖いです。死にたくないです。

僕は、外でタバコを吸うので、いつも空き缶をベランダに出しているのですが、台風なんで、部屋の中に入れておきました。風に飛ばされて道行く人に当たって、誰かが死んでしまわないようにするためです。

命は大事です。死にたくないです。怖いです、台風。

僕は走り去りたいのだ!!

こんにちは。昨日、お酒を飲みすぎたせいで頭が痛いです。顔がボヤーっと膨らんでいる感じがします。
昨日は日記を書いた後、以前勤めていたアルバイトのお別れ会に行ってきました。もう僕はバイトを辞めるので。
僕はまったく仕事ができなかったのに、こうして会を催していただいて、ほんとうに嬉しかったし、ありがたかったです。何度、ありがとうございましたって言っても、まるで足りないような気がします。
まともに動けなくて働けなくて、それでバイト先の皆さんに何度も迷惑をお掛けした僕は、その反面、ちょっぴり申し訳なく思う気持ちがあります。

僕はお酒を飲むと、ベラベラしゃべりだす時と、まったく黙り込んでしまう時と、2パターンがあるんですが、どちらにしても性質が悪いのですが、昨日はだいぶ調子に乗って喋ってしまいました。「いいかげんにしろ」って、心の中で自分を注意するのですが、もうそんなこと構ってられませんでした。調子をこきました。
でも調子に乗っても、黙り込んでも、家に帰って「あー!」ってなるのは同じだから、どうせならその場だけでも楽しんで調子に乗った方が、僕はいいと思います。ええ。

そんなわけで今、反省しつつ日記を書いている次第です。最近「いけないな」と思うのは、僕はお酒を飲むとき、芸術とか、哲学とか、そういう方向の話しかしないことです。「芸術」とか「哲学」とか、本当はあまりよくわかっていないくせに。でも他のジャンルの話題だと、部屋にテレビもなくて友達もあまりいない僕には、到底そこから会話を生み出すことができないのです。

昨日もまた、僕はそっち方面に暴走してしまったわけで、独りよがりな考えをまくし立ててしまいました。

「こう、なんていうんですか?音楽とか、文学とか、絵とか、なんでもいいんですけど、大切なのは『見つけてくれる』ってことなんだと、僕は思うんですよね。たとえば、世の中にはありきたりな『いい話』とか、ポップソングとかそんなものが溢れているわけなんですけど、それに息苦しさを感じちゃっているような人間がいると思うんですよね僕は。
だから、そんな人間に『君はここにいるんだよ』、『君が抱いているような感情は確かにあるんだよ』とか、そんな風に声を掛けてやれることが、大切なんだと思います。光をあてるんですよ。サーチライトを!」

どうなんでしょうね・・・。恥ずかしい!あー恥ずかしい!!

そんなこと言っちゃったんですけど、何もしていない僕にはそんなこと言う資格なんてないし、何だか「俺だって考えているんだぞ」なんて証明したくて、それで出てきたセリフのようにも思えます。
普通なら僕は話し終えた後、相手に困った顔されるのが常なのですが、でもその話を聞いて下さった先輩は、少し間を置いてから、考え込むようにしてこう語られました。

「俺はね、ポップな音楽とか、小説とか、まあ漫画でもなんでもそうなんだけど、皆が触れるようなものには、それでもやっぱり価値があると思うのよね。だって、それだけ、たくさんの人に触れることができて、どんな形であれ元気を与えているってことは事実だから。俺は、音楽って、聞いてもらう人から離れてしまったらいけないと思う。でないと、歌を歌う意味ってのが見つからないよ。聞いてもらう人がいるからこそ歌えるわけなんだから。・・・俺は、そういう考えかな。でも、君が言うようなことも、大切なことなんだよ」

なんだか、他人と会話するって面白いですね。面白く感じます、たまに。
先輩の答えは、僕とは違う方向から出てきた言葉だったけど、すごく説得力がありました。
対話ってすごいなー。恥ずかしい話を、恥ずかしがらずにちゃんと話すことができる人間がそばにいたら、それはすごく贅沢なことなんだと思います。

昨日はいろいろ励まされることが多かったです。
僕は、これから10月中には実家にもどって暮らそうかな、なんてカスみたいなことを思っていて、いろいろと後ろめたさや不安や汚れちまった悲しみなんかがあるわけなんですが、でも自信を持たなきゃいけないって、思いました。って何様だよ・・・。

ぜんぜん関係ない話ですが、僕は自分が「逃げる」人間なんだと、思っています。そう認めています。事実として。
だいたいねぇ、自分と本当の意味で向き合えるような奴が、就職活動をすっぽかしてオーストラリアになんか行くわけないですよ。自転車で旅になんか出かけたりなんかしないですよ。

あ、これは勝手に僕が思っていることなんですが、人がどうして旅に出るのかっていうと、それは「ここ」から逃げ続けだすため、なのではないでしょうか。
でもですね、どこへでも無い場所に逃げようとしても無理なんですよ。不可能なんですよ。だって、「ここ」では無いどこかに逃げようとしても、着いたその先が「ここ」になってしまうわけだから。やってられないです。「鳥は飛び立った。新たなる鳥かごを求めて」ってやつです。くそぅ。

僕はそんなふうに「逃げる」ことについて考え、無駄だと知りつつも逃げ続けてきました。
なんでだろう。どうして逃げるのだろう。
僕はただ走り去りたいのです。逃げ出したいのです。他人からも自分からも。

・・・碇シンジ君みたいになってきました。

だけど、その逃げる先に、もし何らかのヴィジョンが見えていたとしたら、それは逃げていることじゃないんだよ。人生にはいろいろと分岐点があって、君がその道を選んだってことなんだよ、それは。

・・・って、さっきのバイトの先輩が教えてくれました。
ヴィジョンかぁ。見えているのかな、僕には。もしそれが本当になったら、どんなにいいだろう。譲れないものが、もし心の中に存在していているとしたら、それが信じるべき自分っていうやつなのかな。

先輩の一言には、目から鱗が落ちるようなものがありました。
でも、そう自信を持って言えるだけの何かがあったから、そう言えたのだと僕は思います。

「絶対、逃げた方が辛いしね」と、その先輩は付け足しました。

僕には才能はない。実力もない上、根性もよろしくないし、心が全体的に弱い。
自己中心的。優柔不断。馬鹿。甘えてる馬鹿。
・・・欠点ばかり。挙げようと思ったらいくらでも挙げることができます。

ああ、才能ってやつが、欲しいなぁ。
才能さえ備わっていればなぁ。ほんとに違うのになあぁ。才能があればなぁ。

なんて呟いていたら、怒られました。
それは違う、と。

才能は人からもらうもの。実力は自分で身につけるもの。

そう言われました。
言葉は逆説的だけど、なるほどと僕は思いました。
才能って、他人とか、いろんな作品から影響を受けて、それを自分の言葉で言い換えることなんだと思います。だから後から伸ばせるものなんじゃないかしら。実力は自分で練習して身につけるしかないけど、才能は、外の世界に伸ばしてもらうものだから、そこで諦めてしまってはいけないんです。求めなければいけないんです。求め続けなければ。

・・・あー、もう、こんな「頑張ろう!」って日記、本当は書きたくないのにな。なんか、自分がふんぞり返っているような気がして、「何様だよ」ってなるんです。心が。

でも、昨日は本当に勉強になりました。そして残留アルコールで頭の痛い今日。
二日酔いの日は、何を食べたらいいんでしょうか?僕はすっぱい食べ物が欲しくなりますね。どうでもいいですか?そうですね。

だめだめ日和

ああやれん。 やり切れん。

友達が聞きました。もし望みが可能だとしたらどんな仕事につきたい?
彼の希望は、「絶滅危惧種」でした。彼は世界にただ一人しかいないから、誰か保護しないといけないんです。
絶滅危惧種」の彼は無菌室の中で暮らすそうです。
ちなみに、もう一人の友達のKくんの希望は、「ブルジョワジーのために、レンタルするアダルトビデオを選定する仕事」だそうです。すごい!特技が生かせる仕事だ。ちゃんと社会に貢献できてますね。
Nくんの場合だと、「毎日誰かに一万円をもらう仕事」だそうです。素敵。喜捨ですね。喜捨仏教徒みたい。

では、僕のつきたい仕事は何かというと、「ボタンを押す仕事」です。一回ボタンを押すと、誰か一人が幸せになるんです。気が向いたときだけ押します。毎日、誰かを救ってはいられません。疲れますから。


ああ、もう駄目だ。


もう駄目だ、って書くと、書いている自分が癒されますね。ホッとしますね。居てもいい気がしますね。ホイミみたいです。連呼しましょう。もう駄目だ!もう駄目だ!



・・・とかやっていると、心の中の超自我が「何様のつもりだ?」と、詰め寄ってきます。
苦しいです。誰かにビンタされても文句は言えません。でも、誰もはたいてくれません。やったぁ。ラッキーだぁ。きひひ。眉間に皴。

これがあれですね、実存というやつですね。存在の痛みというやつですね。実存はつらいです。
ああ、ほんと、CGになれたらいいのになぁ。
あ、言い忘れてたけど、僕がつきたいもう一つの仕事はCGです。
CGになれば、お腹もすきません。痛みもありません。
しかし!ロードするのにすごく時間がかかります。
何故かというと、僕がすごく頭が悪いからです!頭の回転が亀です。動作が重いです。

お医者様によると、僕の脳は5分の1機能していないそうです、たしか。
高校のときはそれで随分いじられましたが、もう昔の話です。

すみません不愉快ですか?何か書こうとすると、「うわぁ・・・」ってなる文章しか僕には書けません。そんな思考回路になってるんです、脳が。はあ・・・。


言い訳ばかりですね。


モーリス・ブランショによると、自分で自分を蔑むのは、誰かに自分を否定される痛みを避けようとするためだそうです。まんま、僕だ。他人に笑われたくないから、自分で自分を笑うわけです。他人に責め立てられたくないから、自分を責めるわけです。そして、動かないのです。動かないのか!


気が重くなってきたので、たとえ話をします。
世の中にはロックという音楽がありますよね。ロックとは自分の気持ちを叫ぶ音楽です。それじゃあ、もし、ステージで「僕のことを愛してください!お腹の痛い僕を愛してください!仕事のない僕を愛してください!性格の歪んでいる僕を愛してください!」なんて、ありのままの気持ちを叫んでお客さんが皆帰ってしまったとしたら、ロックっていったい何のためにあるのでしょうか?観客が誰もいないのに、歌を歌い続けるのでしょうか?
でも、僕は、自分の気持ちに嘘をつかないことはとても大事だと思います。それを突き通すのは、難しいことだけれど。


ああ、明るい話が書けるようになりたい。なので、明るい出来事を書きます。
たい焼きが、おいしかった。 おわり。
でも、もちろん嫌なこともあったわけで、今日コンビニで野菜サラダを買ったのですが、ドレッシングを買い忘れてヘコみました。生のサラダはちょっときついです。


もしかすると、僕はウンザリするのが好きな人間なのかもしれません。いや、もしかしなくてもそうですね。だけど僕にとって世の中は、良かったなぁと思えることが限りなくゼロに近いので、もうその100倍もある「ウンザリ」を好きになるしかないんです。悪循環ですか。そうですか。


言葉を費やせば費やすほど、どんどん卑屈になっていく自分がいます。自分でそれがわかります。いつか数年後、日記を読み返してみて、今の自分に「大丈夫だよ」と肩を叩いてやれるような人間になりたいです。


そう、なんか良さげなことを書いて、外を見ると、あーあ、雨が降っております。

また今日も雨かよ。やってられるかっての。洗濯物が乾かねーじゃねーか、もう三日も同じ下着穿いてんだぞこっちは。

キレる相手がいないから天気にキレるわけです。寂しいやつです。
・・・でも、天気、ムカつきません?人の都合、平気で無視するし。許せません、許しません。断じて。

っていうか、パソコンの調子がおかしいです。コンピューターウィルスにかかっちゃったんですよね、家のパソコン。オーストラリアにいるときに。なんか変な黒い画面がいっぱい出ます。お手上げです。
あと、老朽化のためか、「t」のキーが何べん押してもなかなか文字を吐き出しません。だからこの日記の中の「た」行の文字は、僕が必死こいて「t」のキーをぶったたいているから、日記の中に記すことができているわけです。こんな駄文を書き記すために、「t」の文字と何べんも格闘している僕がいるわけですよ。自分でも暗くなるような文章を記すために僕はアホみたいに何度も「t」のキーと格闘しているんですよ。
「t」のせいで僕にストレスがたまります。僕もパソコンも限界です。


あーあ、お金が欲しいな。
お腹すいた。メロンパンが食べたい。アンパンでも可。さようなら。

アルバムを聞く。

こんな僕のどこがいけないって言うの?
馬鹿。何もかもだ。

100円ショップでトイレットペーパーを買いました。トイレットペーパーはコンビニで買うのがためらわれるので。
帰りに信号待ちしていると、歩道に松ぼっくりが一個だけ落ちてました。ちょこんと。
並木道ってわけでもないのに・・・なんだか微笑ましいです。生きるってことも、悪くない気がしました。「ごめん。俺、なんか居るけど、ごめん」っていう感じでしょうか、松ぼっくりの気持ちになると。

たしか阿部公房の『箱男』の中で、小さいものを見つめていると生きていてもいい気がする、と書かれていましたが、こんなときの気持ちを言うのでしょうか?

昨日、購入したヒカシューの『日本の笑顔』と、ダニエル・ジョンストンのアルバムを聞きました。どちらも素晴らしかったです。

[rakuten:ebest-dvd:13106416:detail]
ヒカシューのアルバムって、ほんと不思議。はじめて聞いたときには「?」ってなるんですけど、何回か聞いているうちにハマっちゃうんですよね。中毒です。何回も聞かせるだけの魅力があるんです、ヒカシューのアルバムには。ついついリピートしちゃう。

1990(直輸入盤・帯・ライナー付き)

1990(直輸入盤・帯・ライナー付き)

ダニエル・ジョンストンのアルバムは、心に染み入りました。友達が「少年のような歌声だよ」と教えてくれましたが、まさにそんな感じでした。なんだかすごく遠くの方から響いてくるような声。収録が宅録で、伴奏はシンプルなのですが、演奏に感情が滲んでいました。彼が奏でるピアノに、胸が張り裂けそうになります。どんな気持ちでジョンストンさんはピアノを弾いていたんだろう?

たとえようのない良さが『“1990”』にはありました。ひさしぶりに音楽を聴いていて涙がこぼれました。理論じゃなく、テクニックでもなく、心で織り成されたような音楽でした。「心で織り成された」なんて、使い古された表現ですが、でもそんな言葉で言い表すことができる音楽って、そうそうないですよ。
何もかもに疲れて、くたくたになって、どんな音楽も聴く気がしなくなっても、ジョンストンさんの音楽なら聞き続けられるような気がします。
ジョンストンさんをドキュメンタリーした映画で、『悪魔とダニエル・ジョンストン』という映画があるらしいです。僕はまだ観てないのですが、もう少しCDを聞き込んでから、ツタヤにレンタルしに行こうと思っています。
『“1990”』を聞きながら、今日の日記を書きました。もっと彼の音楽を聴きたいので、またCDを買いに行くかもしれません。ではでは。

おやすみなさい。ごめんなさい。

ルージング・マイ・ フューチャー、人生が真っ逆様のオクナです。
今日は美容室に髪を切りに行きました。 毎回美容師さんは僕の髪を切るとき雑誌を前に置きます。他のお客さんはみんな楽しげに会話しているというのに、僕の前にだけ雑誌を置くわけです。僕はお喋りするのも躊躇われるくらい、面倒くさい奴だってことでしょうか?別にいいけど。
散髪が済むまで雑誌を読んでました。今更だけどマイケル・ジャクソンさんの追悼特集が載っていました。僕はムーンウォークのやり方を学びました。これをマスターすれば女の子にモテることでしょう。アハハ…。
帰りにタワレコに寄りました。しかしどうしてタワレコオーパの最上階にあるのでしょうかねぇ? これは、いじめですか?ヨレヨレのTシャツを着ている僕は、お洒落なカップルに挟まれてエスカレーターを昇るわけですよ。横の窓ガラスに映った僕の顔は、うわぁ、って感じでした。あーあ。
タワレコは独立すべきです。オーパから。
ヒカシューの『日本の笑顔』と、ダニエル・ジョンストンのアルバムを一枚買いました。ダニエル・ジョンストンは友達から勧めてもらって、すごく聴くのが楽しみです。今、パソコンにインポートしているところです。 CDを買って、オーパを出ると、通りで外国の留学生の方達が募金を募っていました。僕は良いことをしようと思い、百円募金しました。おずおずと。こう、募金とかボランティアとか、他人のために何かされているような方は、本当に偉いと思います。僕は、尊敬します。
行きも帰りも自転車だったのですが、タイヤがパンクしていました。立ちこぎしてもちっとも前に進みません。女の子にも追い抜かれました。腰と脚が痛いです。そういえば、最近は特に何もしていないのに、変に筋肉痛です。お腹も痛いです。
少し煙草を控えないといけません。はぁ…。
まぁ今日はそんな一日でした。半袖だと、夜が寒く感じられるようになってきましたね。季節は流れていきます。もう十月です。明日はもっと頑張ります。一週間に一度、自分を誇れるような日が持てたら、人生はきっと素敵なものになると思います。明日の朝心待ちにすることができたら、とても幸せですね。だから夜はちゃんと寝ないといけないです。布団の中では何も考えずに。
…おやすみなさい。